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乃木希典の生涯

大きく影響を与えた人物だったのですね。
もっと知りたいことがたくさんあります。


乃木は、1912年9月13日明治天皇大葬の夕に、妻とともに自刃して亡くなった。まず静子が乃木の介添えで胸を突き、つづいて乃木が割腹し、再び衣服を整えたうえで、自ら頚動脈と気管を切断して絶命した。遺書には、明治天皇に対する殉死であり、西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死であるむねが記されていた。このときに乃木は

うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり

という辞世を詠んでいる。

この事件は当時の社会にあってきわめて衝撃的にうけとめられ、結果的に死後乃木の盛名をさらに高からしめることになった。事件に対する態度は主として、

天皇に忠誠を誓う武士道的精神、軍人精神の極致として賞賛するうけとめかた
封建制の遺風による野蛮で時代遅れの行為として皮肉にとらえるうけとめかた
作戦失敗を繰り返し、多くの部下を無為に死傷させた、当然の結果といううけとめかた
の3種類に区分できる。事件直後は???が混在していたが、やがて大正デモクラシーの影響によって?の立場を取る側とそれに対抗して乃木を神格化しようとする?の立場が主流になる。昭和初年ごろから社会全体が右傾化してゆく風潮のなかで?が圧倒的な勢力を得たこともあった。戦後は、陸軍悪玉論や軍人に対する嫌悪感から?を支持する意見と、乃木の徹底した清廉な生き方を評価する意見がある。

立場としては夏目漱石の『こころ』におけるうけとめかたがその典型である。(森鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』、『阿部一族』などを挙げることが可能だろう(鴎外は乃木の殉死に衝撃を受けてこの作品を執筆した)。京都帝国大学教授谷本富(とめり)、信濃毎日新聞主筆桐生悠々などが、事件直後に新聞紙上で殉死批判を展開した結果物議を醸すこととなった。

このほか、彼を題材にした文学作品に櫻井忠温の『将軍乃木』『大乃木』、司馬遼太郎の『殉死』、芥川龍之介の『将軍』、渡辺淳一の『静寂の声』などがある。 また、第三軍に従軍していた記者スタンレー・ウォシュバンは乃木の殉死を聞いて、『乃木大将と日本人』を著し故人を讃えた。

乃木伯爵家は息子は二人とも日露戦争で戦死、息子の戦死後、乃木家の戸籍に入っていた実弟集作を他家に養子として出したため嗣子がおらず、山縣有朋や寺内正毅らは養子を立てて相続させようと画策したが、乃木の遺言により廃絶している。しかし乃木夫妻の死からちょうど3年後にあたる1915年9月13日、乃木家の旧主にあたる長府藩主の後裔、毛利子爵家の次男元智が伯爵に叙爵され、姓も乃木に改めた上で新乃木伯爵家を創設したが批判の声が強く、元智は1934年に爵位を返上、姓も毛利に戻した。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年12月12日 23:29に投稿されたエントリーのページです。

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